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ギフト


よくよく考えても私はおじいちゃんっ子だ。

もう何年も前に亡くなっているので「だった」と言うべきなんだろうけど、今だにおじいちゃんからの影響をひしひしと感じる瞬間が多々ある。


私は浅草という街に住んでいる。

とってもとっても良くある質問は「どうして浅草に住んでるんですかぁ??」だ。

そういう時の私の顔→🙃

面白い答えが髪の毛一本ほども見つからないのです。「えーと、おもしろそうだったから、かな?えへへ」以上。

最近、浅草を歩いていてフと思うのがとにかく手を繋いでいる人が多い。

今朝もそう、お父さんと娘、お父さんと息子、仲睦まじい老夫婦、もしかしたら熟年バツイチ夫婦、赤子を抱っこした夫婦、色んな夫婦がいるなあと見ていた。

他にも、初めてのデートなのかたどたどしい2人、荷物の大きな旅行者の2人、女子高生2人、などなど様々で果ては昼のビールが効きまくったんだろう地元のオジさん2人なんてのも見る。

思うのは、みんないわゆる改札口でネチョっとしているような恋愛感ではなくって、「君と私」みたいな繋がりかたで見てて嫌じゃあないのだ。


今まで住んできた街もそうなんだろうけど、どうしてそこに住んでいるのかと聞かれると「そりゃキッカケとしては何かしらあるけど住んでみたら良かった」としか言いようのない理由があるよなあ………と思ってアッ!おじいちゃん!となった。

「どうして」という一言に対して日本語ではまとまるけれど、私はreasonを聞かれていると思ってたから困ってたんだわ。みんなのはwhat make you think soなやつね!はーーー、おじいちゃん!


…うん、なんでおじいちゃん出てくるかって。

昔から私は今でいうコミュ障なところがあったし、なんだか人とズレてたり、そもそも何でなんでナンデ?と聞きたがりちゃんだった。だから小学校の頃も『先生のまっとうな解答』というのがムズムズする事が多くて、そんなとき私の先生はおじいちゃんだった。

あるとき「今ってすぐ今じゃなくなっちゃうじゃん!みんな悲しくないの?」と聞いたらばおじいちゃんはこう言った「今ってね英語ではギフトっても言うんだよ。たまたま貰ってるものなの、だから悲しくないし、誰かにとっての時間と晴子の時間が違ってても怒っちゃいけない。」

以来、私はちょっと迷走し始めると英語辞書を引いてみるのだ。


おじいちゃん、孫はいまなかなか良い街に住んでると思うぜ!たぶんね、みんな遊びに来たら時間がギフトのように感じて手を繋いじゃうような街なのかも、ここは。



そしておじいちゃんは言った。

今がどんな時でも、あっという間に今じゃないからまだこない不安に怯える必要はない、と。


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