鎌鼬の里、わたしの生まれた里。
- CITY LIGHTS A.I.R.
- 2016年8月16日
- 読了時間: 4分
お盆の帰省ラッシュも過ぎた頃でしょうか?
毎年みんな「なにもすることないけど〜」なんて言いつつも、思い思いの場所で夏の鮮やかさを感じているようで、明けてからのお話をきくのは楽しいものです。
私がちいさかった頃は迎え火・送り火の間に祖母が山ほど買い込んできてくれた花火を両手に振り回していましたが、都内あたりじゃあ公園は禁止だしもちろん路上でも見かけないもので今でもみんなどこでやっているのか不思議です。コンビニには売っているのにな…。
さて、表題の「鎌鼬の里」…はて、なんのことやら???
…⇩まずはこちらを見てください⇩ (説明任せる気満々)
クラウドファンディングサービスのページですが、この「鎌鼬の里」というのが私の生まれ育った秋田のド田舎…おっと違った、大自然に囲まれた農村なのです。
そして、もう気づいていると思いますが、この旧長谷山邸…うん、そうです。ちょくちょく話に出てきます祖父や父の生家なのであります。
すんごぅい場所でしょおおお!!!
なにもないぃぃぃ!!!
まじで信号もないぃぃぃ!

地元の話になると私はよく「暴力的な静けさ」の中に過ごしたんですって言うのですが、本当になにもありません。ただ、ただ、昔ながらの日本の原風景が広がります。
そんな場所でいま大きなプロジェクトの為に地元の有志がものすごいバイタリティをもって頑張っています。内容に関してはサイトを見てもらえばわかるので割愛しますが、興味がわいたり好きそうな友人がいるよって方は、是非とも応援宜しくお願いします!!リターンで稲架掛けのお米がもらえるのっていいなって思いました。
土方は舞踏をやすやすと記録として残すものとして考えていなかったと聞きましたから、このように本当にフォトジェニックな作品として世界的に遺しているのは、この風景やそこに生きる日本(アジア)人の姿そのものを東北という記憶の地と捉えていたのではないかなと思います。
ここからは、興味ある人じゃないとかもしれないですが…
実はこのプロジェクト、わたしにとって故郷の話というだけではありません。
この人は私にとって一言で表すのが難しい、しかし人生の中でのキーパーソンに違いない一人なのです。
前述したように、なにもない場所で永遠かのような毎日を繰り返す、子供時代。
すべての夜、すべての静けさはまるで暴力のように騙されやすい子供の注意力をのみ込み、
すべての朝、すべての畏れは光の風となって軽い子供の身体を自由にする。
もちろん感覚として捉えていた事ばかりでみんな同級生たちが同じような時間をすごしていたとは思いませんし、だれかと共有するものだとも考えていませんでしたが田舎の子供特有の自然に対する畏敬の念と、わたし自身の妄想癖とが相まって妖怪のような自分の皮膚一枚の外側のような「世界」をみっちりと感じ取っていた子供でした。
そんな頃、突然現れた白塗りの舞踏家たち。
それが土方巽のお弟子さんたちだったのでした。彼らは土方の踊った地で踊りたい、とやってきたのです。サイトにもあるように長谷山邸の蔵を使った頁もありますし、祖父は芸術にもオープンな人でしたので我が家で身支度をしたりしていたのだと思います。
小学生のわたしと半裸の白塗りオバケたち。
あのしょうげきはわすれられないなんてもんじゃない。
全部が平仮名になっちゃうくらいにね。
当時はネットなんてないし、あの場所には本屋もない。情報ってなにそれ美味しいの?です。
その時、その場にいたカメラマンのおじさんの袖を引き
「あれはなんですか、かっこいいので写真をみたいです」
と、尋ねると
「大きくなったら東京に遊びにきなさいね」
と、名刺(その時は名刺なんて知らなかったけど)を渡されました。
その人こそが、『鎌鼬』を撮った細江英公氏なのでした。ああ、畏れおおい!
すくすくと曲がりくねり育ったわたしは上京後、松濤美術館で行われていた細江氏の写真展を訪れ、在りし日のアスベスト館を訪れ、ますます斜めに育っていったのは言うまでもないこと。
だいぶ長くなってしまうので、土方のどんなところに惹かれているかはカットしながらでも話します。興味のある方はお店に細江氏の写真集もあるのでどうぞ。
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